2006年07月31日

偉い

私の親戚に偉いお坊さんがいます。
修行が好きな人で、しょっちゅう山に修行に行っています。

よく、私は最高冠位の紫の袈裟だ、NHKで流れるお経の声は私だ、清水寺の館長は後輩だなどと言っています。
良くは分からないんですが、相当偉いらしいです。
確かに、修行の経験は多いし、お経もうまいです。
話もなるほどなぁと思う事もあります。

でもね。だからと言って人望があるわけじゃないんです。
身分が偉くなると、似非プライドが高くなってしまうんでしょうか。
祖母の葬式の時も、包むお金の事など色々言われました。
「そんじょそこらの坊主と一緒にするな!」とか。

私が思うに、偉いというのは自分で決める事では無いと思います。
それは他人が見て感じるもの。


自分で偉いなどと思うのは、驕りなのではないかと。

自分の頑張りをそのままとらえ、評価するのは必要です。
よしよし、頑張ってるじゃん、自分手(グー)っていうのは大いにやれやれ!ですがね。
ただ、人と比べて偉い(上だ)と思うのは、視野を狭めてしまう気がします。


では、偉いと認識する事は悪か。
偉いから頑張らなくては、と思う事もありますよね。
でもそれってプレッシャーになりません?

偉い事が悪い事ではけして無い。
むしろ偉い事は偉い!それだけの努力をしてきた事だけは確かだから。←当り前か?

結局大事なのは、現実をきちんと見て評価し次に繋げていく事。
過大な評価も、過小な評価もせず。
これが1番難しいんですがね。

辛い事が次々と降りかかってくる毎日、子供の頃から何度も呪文のように唱えた言葉。

「これは現実だ、受け止めよう。」
で、これからどうする?

言い訳や誰かのせいに、逃げをする前に、必ず1度受け止める。
そこには何か学ぶべき意味があると思うから。
次に繋がるヒントが隠されていると思うから。

実感として、これは結構良いと思う。
打たれ弱い私が、脆くならず生きてこれたのは、この言葉のおかげかもしれない。

大丈夫という希望の言葉が自分の中から出てくれば、頑張れる。
そんな気がする。



posted by あり at 09:57| ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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